2016年3月23日水曜日

失踪者2016。


アメリカ合衆国中西部のオクラホマへと、ちょっと旅をしてきます。詳しくは無事帰ってからまた述べるつもりですが、今は自分がオクラホマに向かうこと自体に感慨を覚えております。

オクラホマといえば、カフカの長編『失踪者(アメリカ)』(1912‐1914執筆)で、主人公の少年カール・ロスマンが、成り行きとはいえ目的地とする場所。小説に衝撃を受けた僕には、ほとんど神話的な地名です。まさか、自分が行く機会を持つとは思ってませんでした。

去年、集英社文庫から出た『ポケットマスターピース01 カフカ』の解説を読みますと、作者カフカは最終的に少年カール ロスマンを死なせる構想だったみたいですが、結局小説は未完のままに終わり、ロスマン少年の死が描かれることはありません。オクラホマ行きの汽車の疾走に身をまかせることで、ロスマン少年は死を予定した作者からも姿をくらませ、見事な失踪を遂げた、と僕は見ます。

ああもしインディアンだったら、すぐにも走り抜けて行く馬に飛び乗って、風に身を伏せ、
揺れる大地に身もおののき、またおののき、ついには足は拍車を離れ、だって拍車なんか
もうないんだから、手は手綱を捨て、だって手綱なんかもうとっくにないんだから、
目の前にはただ刈り尽された荒野のほかは見えるものとてほとんどなく、
気がつけば馬の首も頭ももうとっくに消え去って。

疾走することで失踪すること。その点『失踪者』は、上に挙げた、カフカの代表的な断章のひとつである「インディアンになりたい願い」(ちくま文庫の『カフカ・セレクション』版の翻訳でした)と似ているかもしれません。そんなことを考えてる中で先日、ロバート・アルドリッジの映画『アパッチ』(1954)を見ると、バート・ランカスター演じるアパッチの闘士マサイが、劇中で本当に疾走と失踪を繰り返しており感激しました。しかもチェロキーの男からトウモロコシの種を渡される、重要なシーンの舞台がオクラホマであることにまた感動。足跡を残さず、巧妙かつ鮮やかに進められるマサイの悲しい疾走の行き着く先はぜひ映画を見てもらいたく思います。それにしても、青く美しい瞳を持つバート・ランカスターが、肌を赤褐色に塗りアパッチの男を演じる姿には度肝抜かれました。後年のヴィスコンティ作品での孤独な家父長役など、多種多様な人物を演じる彼からも、疾走感と失踪感を充分に感じます。僕もまた、彼らのように走らねばなりません。