2011年8月10日水曜日

小栗昌子写真展「フサバンバの山」


村山謙二に誘われ、中野の冬青社で開催されている小栗昌子さんの「フサバンバの山」を見てきました。

以前の写真集『トオヌップ』でも被写体となっているお婆ちゃんに焦点をあてた今回の写真展も、写真集に劣らず素晴らしいものでした。『トオヌップ』では慎重に選ばれた光が、ハレの場と呼びたくなるくらい印象的な光景を作り出していて、写真家の遠野に対する率直な敬意が感じられて物凄く良かったのですが、比べてみて今回はそのような光はあまり採られておらず、写真家自身が、被写体となった人々と同じように、生業に従事するようにタンタンと撮っているといった感じです。この違いは、遠野に暮らすうちに踏み越えられていった経験的な変化というよりも、もともとからある写真家の振幅の広さの内のことのように思いました。
例えば家の中で撮った写真がとても分かりやすいのですが、あの手この手を使い、色んな角度から撮影するわけではなく、一緒に過ごすうちに生まれる関係をすごく的確に写真にしているように思いました。「撮る」というのがどんな事なのか、あらためて思い知らされた気がしています。我ながらたまに密着なんて言葉を使ったりしますけれども、基本的に写真は距離を置かないかぎり撮れるもんではありません。撮影者が被写体とどのように、どれ程の距離を取っているのかをこそ、一枚の写真は映し出します。
『トオヌップ』であれだけの人物像を撮りながら、そのうちの一人(実際には、先頃亡くなられたという旦那さんと一緒に二人。猫もいます。)に焦点をあてたらあてたで、今回の写真展のように素晴らしいものになるのですから、本当に舌を巻く思いです。織りなすという言葉がどうしたって思い浮かんでくる奥行きというか立体感で、もはや「紡ぎ手」とか「謡い手」と例え讃えたくなるんですが、しかし何をおいても間違いないのはまず「写真」それ自体の素晴らしさですので、ここはやっぱり例えなしに、凄い写真家と率直に断言したいと思います。凄い!!