名古屋まで足を伸ばし、写真展『写真家・東松照明 全仕事』を見て参りました。ものすごい写真をものすごい量見る事が出来ますので、興味ありながらも未見の方は、何がなんでも行くのをお勧めします。相当にあった僕の期待を更に大きく上回るその面白さは、今まで見た写真展(そんな見てませんが)の中では間違いなくダントツでベスト。必見です。あと少ししかやってませんので、どうぞご注意を。
東松照明氏の写真というと、僕は『太陽の鉛筆』や『サラームアレイコム』の頃の写真に思い入れが凄くあります。いわゆる「海外(含沖縄)」といわれる世界を東松氏自身かなり意識的に撮っていたと思うのですが、結果として写真を見ると、眼前や背景にあるはずの国境線がほとんど見えてきませんし感じられません。代わりに見ていて意識するのは、国境線と交差することはあっても決して一致することのない写真家の動線であり、視線です。後年に「ルーツを撮った」という京や桜の写真のほうが余程エキゾチックなイメージとなっていて、被写体との間にある主客の境界線が強く表れているように思います。いま図録を見直しながら書いているのですが、京都や桜の写真は「他者としての日本への回帰」というタイトルでまとめられていたと今更知りました。まさにそんな感じです。ちなみにこの図録、頑張っているとはいえ、写真は展示されてるプリントのほうがやっぱり良いです。例えば狩野川台風の暗闇や、沖永良部島の少女、ジョクジャカルタの青年と仮面の写真など、楽しみにして図録を開いた時のガッカリ感には結構なもんがあります。今回の図録に限らず、『プラスチックス』の写真などは色んな本を見てもなかなかキレイな印刷になっていない感があり、これはもう写真展で直に見るもののように思います。そういうわけで、今回の写真展を図録で済まそうなんて考えちゃいけません。
しばしば地ベタを見つめながら、時々は耳に入る轟音を合図に空を見上げ飛んでいる航空機を視界に入れたりもしながら、60年以上にわたって歩き続け撮って来た人の写真をまとめて見るというのは、とてもとても貴重な体験でした。通して見て僕が思うのは、写真というものが東松氏にとって何より意思や思考の反映としてあるということです。頭で考えたことを先行させるというわけではありません。それは東松氏が形作る、目の前の光景に即したやたらイカス画面を見れば明らかだと思います。理性をもってカメラを構え現実の前に立つこと。と、同時に「現実に撮らされ、主体性を失う」こと。写真展のはじめにある写真『皮肉な誕生』からずっと、東松氏は写真に意味を持たせることをそんなに恐れていないようですが、それはつまり写真が、いつでも思惑以上の物事を写し出すといいますか、いわば思惑を超えたものしか写さないものなのだという信頼ないしはポジティブな諦観みたいなものがそうさせているような気がします。いやもう、すげえすげえ憧れます。
三月の終わりに、上野彦馬が撮った長崎にある三菱の造船所の写真を見る機会がありました。台風による被害の前後を写した二枚に僕は思いのほか心打たれ、それらの写真を宮城に行く動機の一つとしたりもしているのですが、まあそれはともかくとして、言うまでもなく東松氏には長崎シリーズがあります。被写体となった被爆者の方々の中の何人かは、三菱の兵器製作所で被爆されていたという事実をキャプションで知り(もともと写真集を持っているにも関わらず今回初めて気づきました!)、そこでようやく、上野彦馬と東松照明が撮ったのが同じ街なのだと思い知りました。長い時間、確かな歴史の経過を間にしながら、写真にしてしまえば隣り合わせにして見る事のできる二つの光景は、両者ない交ぜになって、僕に強烈な印象を残しています。まとめ的に言っちまえば、こういった受け取り方も一つの「思惑以上」の物事になるんではないかなと思います。