一月の引っ越しの際に本棚の奥から引っぱり出して以降しばしば見直している、いつだか古本屋で買った雑誌「CAMERA INTERNATIONAL」の1991年2月号ではラテンアメリカの写真家を特集しており、どれもこれも面白いのですが、特にSergio LarrainのValparaiso、港町をスナップした連作が大好きでよく見ています。
ある種の写真家は、けっして自分らしさを捨ててしまってはならない。
写真の解説がこの言葉で始まり、実際この作家さんにとってはまさにその通りだなと思うんですが、はじめに「ある種の」とあるのがこの文章の肝でして、確かに、先日写真展を見に行った染谷學さんは全くもってその種の写真家ではありません。
今回の写真はインドのコルカタを撮った写真です。昨年に出版された写真集『ニライ』の写真や、サイトで見ることの出来る他の作品と比べて見た時、同じ写真家が撮った写真と分かるような独特さ、共通するスタイルのようなものはほとんど無いと言って良いと思います。匿名性を自身の写真の武器にしようとする写真家さんが多いように思い、そしてそういった人達にしばしば見られる安易さに少なからず僕は苛立つことがあるのですが、染谷さんの場合は匿名性というよりも、複数の写真家を自身の中に同居させようとしているんではと思ってしまうほどのノンスタイルぶりです。
コルカタの写真一つとっても、内容的に一筋縄ではいかないように思っています。4×5で撮られた今回展示されている作品は誰しもがアジェを意識してしまうような画面なのに、一連の写真をそういう風に納得しようとするには何かがひっかかります(個人的には、1900年前後のパリの写真を、100年後に、それも日本人がインドで模倣?するという経緯に引っかかりの原因があると思ってます。ものすごい文脈!)。加えてわざわざインドへ撮りに行ってるわりに、写真をインドっぽくまとめることを極力慎もうとしているようで、そこもまた気になります(しかもエキゾチックなインドへの憧れを隠すことなく!)。むしろ手法と被写体が、お互いを抑えようとしているとさえいってもいいような画面でして、ここでもまた、「らしさ」や「特徴」をさり気なくも慎重に避けようとしているように思えます。一枚の写真、一連の作品をあくまで混濁する名状しがたい状態に置き、けっして何か一義的に還元されうるようなものにはしないぞといわんばかりで、見る側としては、視線を自由に移すことができ、ついつい一枚を長いこと見てしまいました。あるいは見る意思に乏しければ、さらっと流して終わるということもあるかもしれません。写真は、そして被写体もですが、消費の対象ではない、ということでしょうか。
僕はどうも外に置いてる椅子やベンチの写真というのが好きでして(すぐさま思い浮かぶのはケルテスの一枚)、今回の写真展にもまさしくそういった系譜に連なる写真があり、強く印象に残っております。
はい!以上です!写真展会場では本人とお会いし、色々話をしてくださった上、このサイトのリンクに名前を載せる許可を頂くことができました。ありがとうございます!