フッサール『デカルト的省察』を読んでます。1929年にパリで行われた講演が基になっているとのこと。デリダなどを読んでてフッサールや現象学に興味を持ち、この『デカルト的省察』に関しては短いうえ一種の他者論であるという紹介に触れ、それなら何とか読めるかも?と思い手を出しました。毎度ながらきちっと理解してるかは別として、とても面白いです。読んだ内容の整理も兼ねて、要約のようなものを書いてみようと思います。
まず最初に自らをワタシという他者として対象化すること。逆に言えば、ワタシをワタシとして認識する「超越論的な自己」があるという構成「自己客観化」が基本となります。この時点ですでに非常にエキサイティング。
その上で、ワタシとは他者を認識する存在である、とすると「超越論的な自己」が認識するのはワタシのみならず、ワタシとワタシが認識する他者のいる地平すなわち「世界」ということになります。加えてワタシにより認識される他者とは、すべてワタシにより「思われたもの」であり、存在する「オリジナル(原本)」とは違います。ということで、ここでいう「世界」とは、「自己を中心とした」閉じた「全体」を意味します。
閉じた「全体」というと聞こえが悪いですが、ワタシとその「世界」の閉鎖性は、その閉鎖性ゆえに、埒外にある外部の存在を裏打ち保証します。「超越論的な自己」がワタシの認識対象に対して、ワタシのようにワタシがあるのではないかと「類似」として「他のワタシ」あるいは「他の超越論的な自己」を見るとき、「全体」が複数ある可能性が開かれ、一気に無限に近いような多数性へと転じます(「多の形成」)。ワタシと「他のワタシ」による「共同化」が「客観的な自然を可能にするとともに、あらゆる他者とともに私自身もそこに属する、およそ客観的な世界を可能に」します。