2010年9月22日水曜日

八月のおわり その3


九月も終わりそうですが、話題はまだ八月です。

三つめ、最後に見たのは渋谷のイメージフォーラムでやっているホセ・ルイス・ゲリンの映画『シルヴィアのいる街で』です。この映画は、数年前の東京国際映画祭で公開された前後から評判がものすごく高かったので、今回の一般公開で初めて見るにあたり、粛々と、まるで僧侶のような心持ちでいたのですが、いざ見始めて「あ、そういうことをしたいのね。」と納得してしまうと、あとはもう終始ニャニャしながらあっという間に見終わりました。かなり楽しい映画です。

男がビールと小さなスケッチブックを手に数年前会った女を探す、という程度の粗筋を匂わせながら、映画は映像の連鎖による推進力でどんどん進みます。序盤のカフェでの女性物色がかなり良く、カメラはほぼ一方的に男性の視線を代行し、限られつつも色んな場所(座席)を映し女性たちを見るのですが、視線が行ったり来たりする間に、さっきまでいた人がいなくなったり席を移していたり、下ろしていた髪がまとめられていたり、ずっと喋っていなかった人がふと言葉を漏らしたり。表情の変化など、些細なことが次第に新鮮な驚きとなって目に入ってくるようになります。スリルとサスペンスは、物語によってばかり作られるのではなく、むしろモッパラ映像によって成立するのだと痛感しました。あとあとの、街の中での男による女性追跡のシーンにしてもそうですが、同じ場所や人物を同じ風に撮っても、それらはまったく違う空間や存在である、とでも言いたげな撮り方です。仏独の国境地帯にあるストラスブールが舞台なのも、そのへんが関係あるやもしれません。いや、それはないか。ミニマルな反復による他者性の顕在化、というと、この映画の感想にしてはしかし、ありがちで退屈な抽象化でしょうか。

後半、まるで申し訳程度に様々な人種や状況の女性が映されているのには少しどうかなと感じましたが、ともかく男は目当ての女性に出会えるのか、それとも男の視界から女性は逃げ仰すことができるのか。そもそもその女性は、あの女性なのか。見終わった後に待つ、知らない間に抱いている爽快感。いやー面白かった!